熊川正雄ホームページ 熊川正雄の経歴 熊川正雄の略伝 熊川正雄TOPICS 運営会社ジャンプ
熊川正雄キャラクター ドングリ物語 ネコギャラリー
熊川正雄の経歴

1916(大正5)年2月8日
蒔絵師・熊川享道(本名・伊三郎)の次男として京都府葛野郡嵯峨町字天龍寺小字瀬戸川27番地(現在の京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)で生まれる。

1930(昭和5)年
父親のつてで、漫画映画制作に挑む政岡憲三に師事する。師匠の監督デビュー作「難船ス物語(なんせんすものがたり)・猿ケ島」(同年12月完成)に、まだ14歳ながら「漫画助手」として携わる。

1932(昭和7)年
京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)を中退し、政岡憲三が京都市北区衣笠大祓町に設立した政岡映画製作所に入る。

1933(昭和8)年
12月、京都市左京区下加茂に社屋を移転新築、社名も政岡映画美術研究所と変更する。

1935(昭和10)年
同社が倒産、メンバーも解散し、やむなく親戚の紹介で丸物百貨店宣伝部に勤める。

1936(昭和11)年
初めて演出を手がけた「雀のお宿」が公開される。11分の短編だが、歩く場面の背景動画などに新たな工夫を凝らした作品。

1937(昭和12)年
政岡憲三が11月、日本動画協会を設立。漫画映画を初めて「動画」と呼ぶ。

1939(昭和14)年
政岡憲三が1月、日本動画研究所を新設。8月に同社制作の「新猿蟹合戦」公開。タイトルでは監督・政岡憲三とあるが、実際は熊川正雄が演出・作画した。

1941(昭和16)年
松竹株式会社が楽劇部漫画課(その後、漫画映画部)を設置。課長に迎えられた政岡憲三と共に上京し、入社。活動拠点を東京に移す。

1943(昭和18)年
「くもとちゅうりっぷ」公開。15分のモノクロ短編ながら国産アニメの金字塔とされる傑作で、主人公・てんとう虫の動画を担当。同年8月、応召されて中国の戦地へ。

1946(昭和21)年
復員して松竹を退社。京都映画社(木村角山主宰)に身を寄せ、制作活動を再開。「魔法のペン」を監督し、全工程をほとんど1人で手がける。同年12月5日、青木薫と結婚。

1947(昭和22)年
政岡憲三が山本善次郎らと結成した「日本動画」に参画し、東京-京都間を往来する。長男・幹雄が誕生。

1948(昭和23)年
家族3人で東京に移住。新宿区原町の成城高校の空き教室を仕事場とし、ぽっぽやさんシリーズ「のんき駅長の巻」「のんき機関士」などを監督、作画する。

1950(昭和25)年
演出・動画を担当した「小人と青虫」(日本動画・東宝教育映画製作)が公開される。しかし、「日本動画」の営業不振により、政岡憲三は引退して児童雑誌の挿絵画家へ転向。熊川正雄も行動を共にし、絵本を描き始める。

1956(昭和31)年
7月に「日本動画」は「日動映画」への改称を経て東映の傘下に入り、新たに「東映動画」(現在の東映アニメーション)が発足。東京都練馬区大泉町に新動画スタジオを建設され、請われて新人養成係になる。

1959(昭和34)年
「東映動画」に入社し、アニメ作画の現場復帰。カラー長編「少年猿飛佐助」を皮切りに、以後「西遊記」「安寿と厨子王丸」「シンドバッドの冒険」「わんぱく王子の大蛇退治」「わんわん忠臣蔵」の原画を描き続ける。

1964(昭和39)年
12月末、「東映動画」を退社する。

1966(昭和41)年
山本早苗の設立した「チルドレンズ・コーナー」に参画し、同社製作の「おそ松くん」(毎日放送系列で放送)で脚色、演出、絵コンテを担当する。

1969(昭和44)年
クマ・プロダクションを設立。「東映動画」制作の「宇宙パトロールホッパ」の動画や、「ひみつのアッコちゃん」(NET系列で放送)の仕上げを担当した。その傍ら、小学館の創作童話シリーズなどに挿絵も描き続け、作品に「くまたろう」(1974年発行)、「おさるのでんしゃ」(1974年発行)などがある。

1981(昭和56)年
日中合作の長編アニメ映画「シュンマオ物語・タオタオ」(山田洋次原案)の製作に協力を求められ、現地スタッフの指導のため訪中。天津市に3年間滞在する。
政岡憲三は1981年6月6日、埼玉県越生の霊園に「動画誕生の碑」を建立。除幕式に藪下泰司、瀬尾光世、桑田良太郎らが参列したが、中国滞在中の熊川正雄は出席できなかった。

1988(昭和63)年
政岡憲三が11月23日、90歳で死去。

1989(平成元)年
4月、第1回スケッチ展(日吉ギャラリー)を開催。

1990(平成2)年
10月、第4回スケッチ展(京都モラロジー会館)を開催。

1998(平成10)年
NHK教育テレビ番組に出演。

2000(平成12)年
9月23日付の読売新聞文化欄の連載記事「アニメの生まれた街」で、過去の業績が紹介される。

2003(平成15)年
4月、第15回スケッチ展(もみの木画廊)を開催。6月6日、朝日放送のテレビ番組「幻のアニメ」に出演。

2007(平成19)年
3月22日、「東京国際アニメフェア2007」で「上品かつ優雅な作風で国産アニメの草創期を支えたアニメーション・童画・キャラクター作家」として顕彰され、第3回特別功労賞を贈られる。

2008(平成20)年
3月25日、老衰のため逝去。享年92歳。戒名は画道浄正禅定門で、お墓は滋賀県大津市の新光寺にある。